マ元帥へ胸像
1951年01月神奈川県では二六日のマツカサー元帥誕生日に元帥のブロンズ胸像を贈つた。この像は昨年春他界した故川村吾蔵が県の委嘱によつて完成した最後の作品である。
神奈川県では二六日のマツカサー元帥誕生日に元帥のブロンズ胸像を贈つた。この像は昨年春他界した故川村吾蔵が県の委嘱によつて完成した最後の作品である。
従来公安委員会の監督を受けた日本刀などの所持が教育委員会の所管と変り、美術品としての登録をうけねばならないので、都教育庁は一日から三月三一日まで国立博物館に登録事務所を特設し二日より登録を受付け審査を始めた。
昭和二五年度朝日賞贈呈式が一五日午後一時より朝日新聞東京本社講堂で行われたが、美術関係では「雲崗石窟の研究」の京大人文科学研究所教授水野清一、長広敏雄の受賞があつた。
文化財保護委員会では同会委員長高橋誠一郎が博物館々長事務取扱となつていたが、このほど後任国立博物館々長に元侯爵浅野長武を推し、一六日発令した。
洋画壇の大先輩藤島武二をしのぶ夕が画壇の有志によつて一九日夜、朝日新聞東京本社会議室で開かれ、遺族をはじめ縁故関係者等六〇名が出席して巨匠をしのんだが、命日の三月一九日を中心に銀座松坂屋で「藤島武二代表作展」を開催、東京と郷里鹿児島市に胸像をたてる計画を進めた。
京都ユネスコ協力会が作つた「広隆寺図録」の贈呈式が一一日ユネスコ駐日本部で行われた。この図録は京都太秦広隆寺の寺宝、建築物など一八〇点を撮影(山本湖舟)、英文の解説をつけ、鳩居堂社長熊谷直清のデザインになる特別織の“正倉院裂”で外装した箱に納めたもので、今後の災害に備える保存の意味もかね、ユネスコ精神にもとずく文化交換としてマ元帥、ユネスコ本部、英米仏の各博物館など、国内では天皇陛下、国立博物館、京都博物館に寄贈して保存するため一〇部だけ作つた。この日同会難波紋吉理事から李ユネスコ駐日代表に贈呈された。
福井県遠敷郡今富村の真言宗多田寺の本尊薬師如来は永年秘仏として公開されず謎となつていたが、七日国宝修理のため来県中の文部省嘱託彫刻家斎藤源二郎、鈴木信春両仏師を招いて鑑定の結果、奈良朝初期の作で、国宝的価値は勿論類例のない重要文化財だと折紙がつけられた。
さきに完成された本郷新制作の戦没学生記念像「わだつみのこえ」は建立地を東大構内に選び日本戦没学生記念会より同大学に寄附されたが、学校当局はこれを拒否した。
京大人文科学研究所水野清一、長広敏雄両教授らの雲崗石窟調査の成果は資金の不足から出版不能を惜しまれていたが、文部省ではこれに対し一六〇〇万円を補助し出版を進めることになつた。
国立博物館では日本美術の名作を紹介するため「美の殿堂」の製作を開始した。
早川巍一郎作の白鳥と少年像が木挽町歌舞伎座脇昭和通りに建てられ二九日除幕式を行つた。
日比谷公園事務所脇にあるブロンズ牝狼の乳をのむ二人児の一方が二七日持去られた。
金閣寺放火犯林養賢は二八日の京都地裁における最終公判で懲役七年の判決を言渡された。
文化財保護委員会では文化財保護法に基いて専門審議会の専門委員を二一日正式に決定発表した。 第一分科(美術工芸)明石国助他三九名、第二分科(建造物)大熊喜邦他一〇名、第三分科(史跡名勝天然記念物)石井満吉他二三名、第四分科(無形文化財)折口信夫他二三名、計九五名。[会長]辻善之助[副会長]和辻哲郎
文化財専門審議会では二一日第一回総会において重要美術品五一件の指定を解除した。
上野駅前広場に本郷新作プラステイツク塗装のヴイーナスが建てられ二五日除幕式を行つた。
日本学術会議会員第二回選挙の結果が一一、二両日上野学士院会館で開票発表された。
日本芸術院ではさきに補欠候補として挙げられた堂本印象らの新会員を正式に任命した。
北区西ヶ原町飛鳥中学歴史研究会では五日校庭中央の西ヶ原貝塚の一部を試掘した。